私はどうやって「英語」と「ドイツ語」を学んでいるのか?-その1

2010年、私は「17歳の夢」を叶える事が出来ました。人生とは不思議なもので、中学生の終盤から、あれほど嫌っていたクラシック音楽を聴くようになってしまったのです。小学生の頃は、「ザ・ピーナッツ」のファンで追っかけをやっていましたし、小6の頃は、ついに音痴組の中の1人として、音楽室から出されて、校庭の中で遊んでいました。ですからクラシック音楽などとんでもなく、教育ママであった私の母への反抗もあって、絶対に音楽は聴かない、と、つまらない決意までしたのです。中2の時、とうとう母が呼び出されて、「この子は手におえないから他の学校へ移したらどうだ。」と担任に言われて、泣いて帰ってきたのを覚えています。

同じクラスの男子生徒が私のところにやってきて、「今日の夜、付き合わないか?」と言われたのですが、どういうわけか、付いて行ったのでした。

上野の東京文化会館大ホールがその行先でした。こんな所に連れて来られた不安で、途中の休憩時間に逃げ出そうと思っている私の心を読んだように、友人が演奏が始まる寸前まで私の傍にいたので、そのチャンスを逃して、仕方なく黙っていると、自分はステージの脇で聴くから、と言って、行ってしまいました。目の前には100人を超すような大オーケストラがありました。その曲は静かに始まって、その暗さを感じました。盛り上がって強烈な音量が私の体を押さえつけました。大ホールの床がビリビリと響くようにも感じました。ザ・ピーナッツを日劇や、コマ劇場でライブで聴いていましたが、その比ではなく、ウエスタン・カーニバルなど眼下に見るように、巨大な音量とド迫力は最後の音が鳴り終わるまで続きました。この時14年間で初めて感動に震えました。この時から約50年が経った時、「17歳の夢」が達せられました。

場所はドイツのバイロイトという小さな町でした。音楽が好きな方なら誰でも知っている、バイロイト音楽祭の会場にいたのです。この音楽祭知る人ぞ知る、知らない人は全く知らない所なのです。ワーグナーだけを上演するこの音楽祭は、世界で一番チケットがとれない音楽祭としても有名ですし、私自身が一生のうちに絶対無理と考えていたところだったのです。

世界中の“ワグネリアン”の聖地としても、巡礼の旅としても有難いのですが、この音楽祭の行われる、バイロイト祝祭劇場というのが、只者ではないのです。広大な丘の上にそびえ立つ劇場の周りは、音楽祭を楽しむための空間であるのです。小さな町に、この為に世界中からワグネリアンが集合するのですが、それ以外ほとんど何もないので、午後4時の開演まで、ぶらぶらしているしかありません。

ワーグナーの楽劇は長大で、1曲4時間以上かかりますから、2回の休憩を入れると、終演は午後10時を過ぎるのです。例えば2010年に私が行った時には、「ニーベルングの指環」という4部作が目的で行ったのですが、これを毎日やるのではなく、1日あけての公演になりますからこの曲だけで約1週間が必要になります。ワーグナーの音楽というのは、一般のオペラと違って、独特の発声と、あの分厚いオーケストラの響きに対抗するのですから歌手たちの声がもたないのです。私は先程このバイロイト祝祭劇場は、只者ではないと書きました。ワーグナーという人は、少なくとも保守的ではないですから、音楽もそれまでにない技法を使っています。それは若い頃の政治感覚を見てもわかりますが、後半の人生は、あのバイエルン国王・ルートヴィヒⅡ世との繋がりが大きな意味をもってきます。

ロマンチック街道の終点(?)ノイ・シュバン・シュタイン城(白鳥城)はつとに有名で、強引にその城を造った為に狂王として湖に沈んだ、つまり、バイエルン国の財政を圧迫したとして、幽閉されて、亡くなったルートヴィッヒⅡ世の造り出した城です。ルートヴィッヒⅡ世は、若い頃にワーグナーの「ローエングリン」という歌劇を観て、感激して、ワーグナーに接触するようになります。バイロイトにあるワーグナーの自宅もそうですし、バイロイト祝祭劇場もかなりの出費をしていたといいます。バイロイト市内にある昔風(ヨーロッパによくある馬蹄型のオペラハウス)の劇場では、自分の音楽をやるのに適さないということで、現在も毎年使われている祝祭劇場を新たに造ったわけなのです。王様や貴族が中心にいるオペラハウスなど、くそくらえというところなのでしょう。それは正しいとも思えますが、祝祭劇場に行ってみると、ステージと客席の関係がどことなく変なのです。ステージを中心にして上方に向かって客席があります。内部に入ってみると左右に6枚の扉が付いています。イメージとしては、ギリシャの古い劇場のように横一列の席が、ステージから上方に積み上げられているのです。私とて、ワグネリアンの端くれですから、皆が憧れるこの劇場については、よく知ってるつもりでした。しかし自分がその場に行ってみると、現実はかなり違っていたのです。加えて座席は板のイスで、おしめし程度のクッションが付いています。(ですから全員、自分のクッション持参でやってきます。椅子と椅子の間は我々でも狭いのですからヨーロッパの人にとってはかなり窮屈だろうと思います。ここに4時間も5時間も閉じ込められているのは正気の沙汰ではありません。)

それでも満員の状態で、休憩時間は1時間ずつとり、その時は全員が劇場の外に出されます。開演20分前になると一斉に鍵が外されて、客は入場することになります。実は私はこの時のことを話したくて、この文章を書いてきたのです。この劇場には縦の通路がない、ということは、自分の席に行くのには、横一列に入っていくしか方法がありません。前後の座席の間が狭いという事は1人でも座っている人がいると、もう通ることができないのです。ここに来ている人々は、それを知っている。ですから自分の席の前に立って待つのです。横に30何列かある座席の中央に客が納まり、皆がそれを確認してから一斉に着席します。その時が私には苦痛以外の何ものでもなかったのです。1日の公演ならまだしも、4公演で1演目(ニーベルングの指環は4部作の大作で約12時間半以上の演奏時間を要します)ですので、殆どの人が4公演を通し券で買っています。つまり、毎回、前後左右の人々が同じということになります。先にも書いたように一列全員が並ばないと着席できないのですが、バイロイトの習慣として、相手にお尻を向けて入場するのは失礼らしく、皆こちらを向いてカニ歩きで入ってきます。当然、顔と顔が向き合います。迷惑をかけた方(後から入ってきた人)が、必ず相手の眼を見て何か言います。が、私には何のことか全くわかりません。ですからニッコリと笑うしか能がない自分に、この時ほど惨めになったことはありません。言葉がわかならいというのは苦痛なものです。更に1週間近く同じ席で音楽を聴くという事は、相手の方も気を使って話しかけなければいけないだろう、と考えていることがわかることにもなります。ですから、幕が上がるまで下を向いているか、妻と話しているかして、自己防衛をはからなければなりません。彼らは、世界中から集まっていますし、皆が英語を話せるわけでもなく、ドイツ語、フランス語が多く話せる人もいるはずですが、そういう中で生活している人々は、私のように固くなったりしないようで、こちらがとまどっていても平気で話しかけてきます。これが最大の苦痛でありました。約1週間、狭い座席と、暑さと、話しかけられることの三重苦を持って帰ってきた次第でした。

これが、今から6年位前の出来事でした。私は決心しました。

「もうガマンならぬ。ドイツ語と英語を話すようになるゾ。」

と決意して友人に話すと、「何言ってるの、バカじゃねぇ?」とか「どうしちゃったんだろうね。」という声が周囲を囲む中、ドイツ語会話専門学校に入学しました。これが50分で4500円、2レッスンからということで(4500×2)×4で半年頑張りましたが、何のことかさっぱりわからず撃沈しました。英語もしかりで、同じく6ヶ月で終了。「あんな、会話学校なんてくだらねぇよ。」と憎まれ口を叩いていたのですが、あることからこれはやり方次第ではないだろうか、と考えるようになりました。

日本で生活してきて、外国人が傍に来ると、さっと道を変更したり、一緒のエレベーターの中に入ると下を向いていたりを繰り返してきた自分にも、一条の光が入ったかと思われたのでした。

2017年末、2018年夏、もう何回か自力で海外旅行(音楽の旅ですが)に行けるようになると、航空券、ホテルの予約、コンサートのチケットだけあればO.Kというところまでやってきました。

不思議ですが、このところやたらに記憶力が優れてきて、自分ではないように思われます。

恐らく若い頃に勉強しなかったので、その余力が残っているものと考えます。