「茶の湯」への道

「楽茶碗」好きから「焼き物」好きへ

出会い

約11年程前、全く想像の出来なかった世界に迷い込みました。「茶の湯」です。
ある日、いつものガソリン・スタンドに入り、ガソリンを入れてもらって洗車が終わるのを待つ間、ラックに入っていた雑誌に目が行きました。暇が勝って、パラパラとページを捲ると、何か黒い茶碗が、これでもかというように各ページに載っています。“楽茶碗”という文字が見えます。無知な私はいつものようにさらっとページを捲るのですが、最初に見た黒い茶碗と、次のページの黒い茶碗は、似ているようで似ていないようにも見えます。現在の私の目から見ると、その違いは明らかですが、初めて見た黒い茶碗は、皆同じで、それぞれがもっともらしい型で写真に写っているのがどこか気に入らなかったのです。エラソウに並んでいる黒い茶碗なぞ、どれだけのモンジャァーというのが本音でしたが、これらの茶碗が「茶の湯」でのみ使われる事だけは知っていました。給油のたびにその本に目が行き、そのたびに、この茶碗と、あの茶碗はここが違うもんなぁ~などと考えていました。

その本の中に、京都の楽美術館のことが載っていて、現在も400年前の場所にあると書かれています。何の作用か、その美術館に行くことになったのです。折角行くのですから、東京にいても楽茶碗を見る事が出来ることを知ると、美術館巡りが始まりました。その関係の美術館に行くと、茶碗の他にデカイ蓋付きの器や、小さな蓋の付いた入れ物、竹で作った細長いスプーンのようなもの、上下に分かれている小さな焼き物など、色々なものに出会います。なぜだろう・なぜかしら精神はこれに惹かれたのです。これらのものは茶道具といって、「茶の湯」にはどうしても必要なものなのです。しかし何も知らない人間にとっては、不思議なものにしか見えません。そこで考えたのは、これを使ってみることだということでした。ということは、自分が「お茶」を習うしかありません。正に体験が必要なのです。そして「茶の湯」に入門したわけなのです。私の周囲の人々は、どうして突然お茶を始めたのか、とか、バレエってどこが面白いのか、あるいは、いい年になって英語とドイツ語をやっているのかと、質問攻めにします。それらについては今まで記してきましたが、いくら説明を繰り返しても、彼らは“どうもあいつは変なヤツだ”と思っているのが手に取るように感じられます。


作風

楽茶碗は、京都の現在地に400年続いています。勿論初代は楽長次郎で、その後、現在の15代まで続いています。当代の楽さんはとても魅力のある、素晴らしい作家で、イタリア留学の影響もあるでしょうが、その独創的な作風は私の最も愛する楽茶碗の1つです。

初代長次郎は誰でも知っている名工です。「茶の湯」の大家、千利休が見出したと言われる陶工で、真っ黒い茶碗、赤茶碗などがありますが、やはり黒楽にその中心があるように思われます。黒楽茶碗の中の、お濃茶の深いグリーンは最も美しい景色です。その3代後の道入(ノンコウ)という人も素晴らしい人物で、黒楽の他、赤楽にも名作が多い。長次郎に比べると、全体に丸く、小さく、薄い感じが特徴です。この人の作品も、楽家の中では特別な位置にいます。3代道入(ノンコウ)は彼の作品だけではなく、あの本阿弥光悦との関係においても有名です。

楽家の玄関には「楽焼 御ちやわん屋」という大きなのれんがかかっていますが、筆者は光悦と伝えられています。本阿弥光悦という人は多才の人であるのですが、何と、楽家との関わりも深いのです。楽家には二代常慶に宛てられた光悦の手紙が2通伝えられていて、作陶のための土を楽家から借りてもいるのです。しかし楽とは作風は異なっています。光悦のは自由奔放で、専門職の工人とは異なる芸術性を感じさせます。光悦茶碗には“ひび”が入っているものが多いのですが、それが彼の芸術性を高めていると言われています。つまり楽の茶碗の専門の立場と、それを破ってまで自己の主張を行うという所が大きく異なっているのです。益田鈍翁(ますだ どんのう)の言うとおり、「たまらぬものなり」と言われる赤楽茶碗「乙御前」(おとごぜ・おたふくの意)や「時雨」はあまりにも有名です。

「茶の湯」

こんな具合で楽茶碗に入りこんだのですが、「茶の湯」に入門して外から見ていた“お茶”というものが、どの位簡素化されているかに気付かされたのです。“お薄”(おうす)と“お濃茶”(おこいちゃ)という区別ができなかった私が言うのも恥ずかしいのですが、「茶の湯」を習っているのをききつけて、ドシロートに毛の生えたような者に色々な質問が来ます。そんなことから日本料理店の抹茶や観光地の抹茶セットを見て、それが“お茶”だと思っている人がいかに多いかということにも、気付かされたのです。

「日本人の心は、千利休の侘び茶によって形成された」などと言うわりに、「茶の湯」というものが理解されていない。などと言えば生意気な発言になってしまいますが・・・・。私は茶道具をどう使うのか知りたくて

「茶の湯」に入門したのです。しかしこれから話すことは、「えっ、うっそでしょ、そんなこときいたことない。」の連続になるはずです。そこで正確をきするために「茶事の真髄、茶ごころに触れる」(世界文化社)という本を手本に話を進めます。

茶席

懐石、会席、ともに「かいせき」と読みます。会席とはお料理屋で出す食事のことですが、懐石というのは、茶事の時に出す料理のことです。茶懐石とは、亭主が客に対して出す料理のことですが、ごく少量の心づくしの料理で成り立っています。そこで使われる器こそがまた料理の味を引き立てます。
例えば最初の膳には白いご飯、汁、向付などが載っています。それらの料理には、例えば、絵志野の皿、根来の椀、などが使われます。煮物椀、焼き物、強肴、箸休、八寸、香の物、それにお預け徳利といってお酒も出ます。最後はお菓子です。これらのものの器も考え抜かれていて、蒔絵の朱塗椀、胆礬呉須皿(たんばんごすざら)、刷毛目(はけめ)鉢、古染付八角皿、徳利は古萩粉引、酒盃は古唐津、御本手、初期伊万里などが使われます。ですから皿や椀は、陶器や漆塗りということになります。
食事の後、客はいったん外に出て(中立といいます)、銅鑼の合図で再び席入りします。後入りでは、床のお軸が変えられています。花入れは主に竹のものを使います。勿論この花入れも、重要な意味を持ちます。この席に入ってから濃茶点前が始まります。お濃茶というのは、抹茶を大量に入れて湯を注ぐのですから、茶を点てるとは言わずに茶を練るという表現を使うのです。練った茶は、飲むというより流し込む、という方が適切かもしれません。茶碗を口にあてて、口の中に入ってくるのは、暫くしてです。この濃茶は、通常2,3人で回し飲みします。所謂“お茶”というのはこの濃茶のことを言うのですが、先にも述べたように薄い抹茶をお茶と言っている場合がほとんどです。濃茶が主で薄茶は従と言っても良いかもしれません。濃茶の後に座布団が運ばれて、薄茶点前が始まります。この時は干菓子が用いられます。随分長い説明になりましたが、ここまでの文でもわかるように、お茶では色々な焼き物を使いますし、漆の器も使います。これに加えて、床の間には掛け軸が掛かっていますし、茶席に入るまでの露地にも色々な工夫がされているので、茶席というのはある意味総合芸術といえるかもしれません。

(この文章を、楽茶碗中心に書いてきましたが、茶碗も、中国、朝鮮からの名椀、あるいは我が国で作られたものなど、とても多くて書くことはできませんのであしからず。)