ハンス・クナッパーツブッシュの墓 ③

この文章のテーマは

「ハンス・クナッパーツブッシュの墓」だった。

このいやに長い名前は、クナッパーツブッシュだけでも相当長く、発音もしづらいが、れっきとしたドイツ人の名前なのである。日本の音楽ファンは彼のことを“クナ”と呼ぶ。さて、この人は何者なのだろうか。そして、その人の「墓」

とはなんなんだろう。今までの文面からすると、どうも音楽に関係することとは、わかるだろう。現代ではこの人のことをあまり知らない音楽ファンも多く存在するはずである。何しろ、1888年生まれ、1965年の10月25日に亡くなっているのだから、53年前に没した人だ。この人のワーグナー演奏は現在ではあまり評価が高くないのだが、実はバイロイト音楽祭の主なのである。

バイロイト音楽祭は1951年に再開され、その年からクナは「パルジファル」を演奏し、亡くなる1年前の1964年まで毎年演奏した。1953は、演出家と意見が合わずキャンセルしたが、他は全て指揮をしている。

つまりワーグナーの権化なのだ。

それを証明するように、1953年以外の全ての「パルジファル」の公演が、バイロイトでライブ録音されて発売されている。クラシック音楽の世界ではめずらしいことだ。ここでしばらく私個人の過去を話すことにしよう。

ハンス・クナッパ-ツブッシュという大指揮者は、私の心の中に突然やって来た。1964年のことだった。(「ブルックナーの交響曲第8番、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団」(ウエストミンスター盤)というレコードは現在も所有している。)

このレコードが私とクナッパーツブッシュとの出会いだったのである。

このレコードをどこで買ったのか、又、なぜ買ったのかも忘れてしまった。

ただ、1965年の10月25日の朝、NHKラジオから流れてきたアナウンサーの声は覚えている。「昨日、ドイツの大指揮者、ハンス・クナッパーツブッシュ氏が亡くなりました。享年77歳でした。」

大げさではなく、目の前が真っ暗になってガクガクと震えが体を伝わった。

頭の中では、クナッパーツブッシュが死んだって?死んだって何?いろんな言葉が飛び交っている。ほぼ1年前からクラシック音楽を聴くようになってレコードを買っていたのだが、この人が指揮したブルックナーの第8番交響曲はいたく気に入っていたのである。高校1年生は帽子をとって無言である。こういう状態を呆然とした、というのであろう。

私は母親にこう言った。

「今日は学校に行かない」

そしてその騒ぎが一段落して、クナッパーツブッシュの「パルジファル」の全曲レコードを買った。もちろん1962年、バイロイト音楽祭のライブ録音で“レコード大賞”をとった名盤である。

それから私のワーグナー好きが始まったのである。そして、一時期を除いて

“ハンス・クナッパーツブッシュ命”が始まったといってもいい。

“クナ”はワーグナー指揮者であるからその関係から、ワーグナーの曲にのめり込み、またクナを聴いた。そしてそれは今でも続いている。

現在では、一部の人々は彼について相当批判的であるが、その反面CD屋に行くと、彼のCDは人気があり、手を変え品を変えて、あるいはSACD化したり、リマスタリングをして売り出す。その都度CDは売れるからCDメーカーはウハウハだろう。現代からみると彼の演奏は、つまりオーケストラコントロールという意味からみてもかなり大雑把であり、先日聴いたバイエルン国立歌劇場とペトレンコの完成度の高いものとは比較にならないのだが、聞き手に与えるインパクト、あるいは感動はそれとは無関係なのである。ペトレンコは次期ベルリン・フィルハーモニーの常任指揮者になるが、あのベルリン・フィルを4年も待たせるほどの実力者である。

皆が聴いたことのないタイプの現代指揮者と、ハンス・クナッパーツブッシュいう大時代的ドイツ人指揮者は、純粋に音楽という立場に立つと、クナの方に分が悪いが芸術という視点からみると、彼の方が孤高の存在に見える。

ゆっくりとしたテンポ、正にドイツ系の分厚い響き、がっちりとした構成力、つまらない細工などに興味のない、あるいは、周囲を睥睨し、自己の道をただただ歩き続ける巨人、どこか人間をなめているジョークとユーモア、それでいて人懐っこいところを感じさせる巨人、大作曲家の交響曲をかなり個性的に演奏するが、“くるみ割り人形”の美しさにはのめり込む。

クナッパーツブッシュにかかると、ベートーヴェンだってモーツァルトだってバッハだってどこか見下されている感じがある。ただ、ワーグナーにだけは、全力で対応するのである。

彼の中ではワーグナーの作品だけが、正面から組み合える作品なのだ。

そんな人に私はとりつかれてしまったのだった。この人の音楽は迷える少年の目の前にドスンという音と共に現れたと言ってよい。だから、いつかクナッパーツブッシュの墓に行ってみたかったのである。

ところで私は随分、音楽家の“家”とか“墓”に行っている。バッハはライプツィヒのトーマス教会の祭壇の前に眠っているが、誰でもすぐそばまで行くことが出来る。ドレスデンにはウェーバーの墓がありその小さな墓石の左右には彼の一族が眠っている。これらは本当に質素で気の毒になるほど実にわびしい。もちろん墓石の前に柵などないから、手で触ることも出来るし足で触れることも出来る。あのマーラーの墓はウィーン郊外のグリンツィングにある。これも大作曲家の墓とは思えぬ位、控えめなものだ。マーラー・ファンの私は、マーラーの墓のそばにマーラーを捨てて何人もの男と関係をもった悪妻アルマ・マーラーの墓があるのには呆れ果てたことを覚えている。さてワーグナーの墓の前で我ら5人はどうしていのか迷ってしまった。

5人というのはバイロイト音楽祭「ニーベルングの指環コース」のツアーの人々の中の5人である。

この5人はどういう訳か気が合うようで演奏終演後、ホテルのレストランで深夜まで語り合った人々である。

バイロイト音楽祭は、4時から始まって終演が10時から10時半になる。それからホテルに帰り、そこから夕食になるわけだ。

私は一考した。一週間は同じホテルに泊まるのだから、11時から毎日レストランの同じテーブルを予約すれば皆で会食が出来るのではないかと。これにみな賛同して毎夜楽しい時間を過ごした。何しろ89万円也を払って日本からやって来た、筋金入りのワーグナー・ファン達だ。その中の1人が超筋金入りの人で、ドイツに留学もしていて、ニュルンベルクでもバイロイトでもやたらに詳しい。

この人がワーグナー博物館にみんなで行こうと言うのでついていくとそれは、

写真で見たことのある建物だった。ワーグナーがヴァンフリートと呼んでいた自宅だ。正面切っては言われないが、これもあのルートヴィヒ二世が関係している。それは正面玄関に向かって右側にルートヴィヒ二世の像が立っているからわかる。

ワーグナーという人は若い頃、つまり1849年にドレスデンの革命に参加し逮捕状が出て、ドイツを脱出、チューリッヒ、パリ、チューリッヒと亡命生活をしている。いわゆるおたずね者だった。女性との関係も華やかで、初婚後何人もの女性、それもパトロンだとか友人だとかの妻と関係をもった。

二度目の結婚は、あのリストの娘コージマだ。

彼の自宅ヴァンフリートという立派な建物をおたずね物で浪費家のワーグナーが建てられるはずがない。金もないのに一流ホテルの最上級の部屋を使う神経も尋常ではないが、そこだけでも一般人とはどこか違う。

それをふまえてワーグナーをみると、想像を絶した強運の持ち主という人種なのだ。通常なら自己破産している人間なのである。煮詰まってしまい、にっちもさっちもいかなくなった頃にピタッとルートヴィッヒ二世が現れたのだから、これほどの強運はないだろう。

ここで、私は素直に告白しなければならないだろうと思う。ヴァンフリートという自宅は現在公開されているので、ワーグナー博物館でもある。

私がその中でみたものとは・・・。

「これって何、いやに小さいけど」 という言葉に妻も

「本当に随分」 と言った。

ガラスケースの中に入っている洋服はワーグナー本人の物であり、その他日常使っていた品物が多数陳列されている。

どうしてもその小ささが理解できないのである。

「でもこれ本人のものでしょ」と妻が言う。

自分の好きなものは誰だって立派であって欲しいと願うのは人情だろう。

でもどう見ても小さい。

ワーグナーという人は恋愛事件を多く起こし、最後は弟子ビユーローの夫人コージマと結婚した。今で言う「出来ちゃった婚」であり、有無を言わせぬ行為である。しかし3年後ミュンヘンで「トリスタンとイゾルデ」を初演した時は、弟子のビユーローが指揮している。

つまり、寝取られた元夫がワーグナーの初演を行ったということになる。

今私はミュンヘンでビユーローが指揮をしてワーグナーの歌劇「トリスタンとイゾルデ」を初演したと書いた。その歌劇場こそ、今回「パルジファル」を観た「バイエルン国立歌劇場」なのだ。

ヴァンフリートという名の彼の館は立派なものであるが、その後ろには小さな林がある。その庭には、ワーグナーの墓がある。ここには妻コージマも眠っていて微笑ましい。

バイロイトツアーで一緒になった5名はその墓の前に立って、どうやって祈るか迷っていて、日本風でもいいのかなどと話し合っていた。土を盛り上げた上に置かれたグレーの平たい大きな石版は周囲の木々とよく調和してリヒヤルトとコージマの愛が本物であったように私には思われた。

断っておくが、墓巡りは決して私の趣味ではない。

偶然が重なり合って行ってみただけなのである。

しかし、足元にそれらの人々を感じるのはある意味で辛い事であった。

私は音楽が好きである。そして最近はバレエにもハマっている。

例えばバレエ好きになるまで、つまり数年前まで“バレエ”なるものに全く興味がなかった。本心を言うなら「あんなもの何がいいんだろう」と思っていた。

クラシックチャンネルに入会したのはベルチャ弦楽四重奏団の「ベートーベン弦楽四重奏曲の全曲」演奏を放送するという広告を見たからだ。

チャンネルを回してみると、あまりに美しい画像が飛び込んできて、音楽もいいがその演奏の素晴らしさに目を見張った。白いコスチュームを着た何十人もの女性の踊りは始めて観るものだったし、よく聞いてきた「白鳥の湖」の音楽も生き返ったようにピッタリと、踊りに密着している。

バレエ音楽「白鳥の湖」は、バレエあっての音楽だったのだ。

私には“バレエ”という誰でも知っている世界に初めて触れた感動があった。

私の困った性格は、今に始まったことではない。

興味があることには徹底してのめり込むが、興味がないものには全く反応しない。全くである。

だから皆が知っていることを私は全く知らない。最低の知識もないのである。

“バレエ”について言えば、そのことが良かったかもしれない。何も知らないということは、真っ白であることに通じる。だから一度火がつくとそればかりに集中する。一種の吸い取り紙なのだ。

「すごいね集中力」というのはよく我が妻が言う言葉だ。

しかし一方周囲の人は迷惑である。毎日毎日バレエを観ている。夕食が終わると観る。これは高校生の頃の自分と同じなのである。ワーグナーについていえば学校から帰ると第一幕、夕食後第二幕と第三幕、終わると11時頃、まるでバイロイト音楽祭のようだ。

これを毎日繰り返す。バイロイトだって7月25日から8月末までなのだ。

こんなことを言えば音楽ファンから怒られるに決まっている。でもあえて言う。

ワーグナーの方がバッハやベートーヴェン、モーツァルトよりもはるかに難しい音楽だと。

私が言いたいのは、音楽のレベルの話をしているのではない。音楽の作り方のことを言っているのだ。あの無限旋律とライト・モチーフは1度や2度聴いたってとても覚えられるものではない。必死になって聴き取らなければならないし、1曲4時間はかかる歌劇全曲を覚えるとなると聴き手側にも相当の能力が要求される。

さて、ベルチャ弦楽四重奏団のおかげで、バレエ・ファンになった私は集中する分成長もあったのだろう。あんなにバカにしていたバレエの難しさを知り、ダンサーたちの努力を思うようになった。例えば今回のパリ・オペラ座バレエは、世界のバレエの最高峰の一つである。たとえその舞台に群舞の中の端役であっても、出演することなど奇跡に近い。

街を歩いていて、その気になってビルの看板を見れば“バレエ教室”がどの位あるかわかる。それが世界中にあるのだから、その頂点に立つなど考えるだけでも気が遠くなる。

そういう目でバレエを観ると、彼らのやっているダンスというものがどのくらい高度なものなのか理解出来るようになった。

「男のくせに白タイツはいてキモチワルイ」

と思っていた男の考えていたことは所詮何も知らないアホな男のたわ言だったのだ。

それはどんな分野にも言えて、真剣に取り組めた人だけに理解されることなのだろう。

私が大作曲家の墓の前に立って、つま先を向けていることを自体いたたまれなかった、理由がここにある。

何百年にも渡って演奏され続けている作曲家となれば、心死に努力する

ダンサーの比ではないだろう。

彼らにとって天才であることは当然のこと、努力も当たり前のことであるが彼らの強い個性はことあるごとに周囲の人とぶつかり合って、戦い、落ち込み、苦しい精神を鼓舞して再起してきたのだ。そんな人達の前に立つ自分に対して怒りがこみ上げてきたのは当然のことなのだ。