おらんだァー②

クレラー・ミュラー美術館

コンセルトヘボゥ管弦楽団の作りだす音楽は、このオーケストラにしか出せないものだ。というよりは、このオーケストラによって発酵させられた何か、である。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団には、ウィーンの宮廷のテンポとリズムが、芳しい音と相まって現在に伝えられ、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団にも、古式豊かな音楽が伝わっている。これは最近言われるように、以前と比べると、その特徴が弱まっていることは認めるものの、かといって、その他のオーケストラでは代用できない。このオーケストラのCDの録音と、その最新処理されたCDを比べると、意外なことに気付かされる。大げさな言い方をするなら、オーケストラの音が良くなってしまったのである。音が良くなったというのは、かなり誤解を生む言葉だが、オーディオ的に良くなったと言い換えた方がいいかもしれない。

一つの例を挙げてみよう。1951年録音のブラームス。正確に言うなら、1951年にアムステルダム・コンセルトヘボゥ管弦楽団が、ファン・ベイヌムと入れた、ブラームスの第一交響曲(日本ではロンドン盤モノラル)。当時の録音としては、モノラルながら優秀である。この古い録音盤は、リマスタリングなど施されていないから、きわめて自然な音楽が聴ける貴重なものだ。ここから聴こえる音楽は、正にコンセルトヘボゥ管弦楽団そのものである。モノラルであっても、古い録音であっても(音が悪い録音であっても)。現在の技術をもってすれば、この録音を更に優秀な録音にすることは可能である。そして、現にどこのCD会社も(SACD等)、手を変え品を変えて、再発売を繰り返している。これらを聴いてみて、やはり“最新技術ってすごいなぁ~”とは思いながらも、どこかに違和感をもっているのも事実だ。くま取りのはっきりした、低音が強調され、中域がはっきり前方に出てくるような、うるさい位に高音が騒ぎ立てる音は、一聴すると“流石”と思わせるが、二度と聴く気にさせられない音楽でもある。そういうやり方を好む人々がいるから、手を変えて再発売を繰り返すのだろう。オーディオ的にはいい音であっても、音楽的にいい音でなければ、芸術という世界は再現させられないとするなら、手を加えれば加えるほど、“濃い音楽”は出来るものの、実際の姿から徐々に遠のいていく。私は、クレラー・ミュラー美術館でそのことを考えながら、ゴッホを見たのである。パリに出てきてから、彼の芸術は明るくなり、色調も変わったことは事実である。それは初期の作品、「馬鈴薯を食べる人々」の暗さから、後期に向かって変化をし、印象派に影響されたものの、大都会を去った後の「夜のカフェテラス」の鮮やかな黄色や青、その劇的な色彩に目を見張るのは、誰でも同じだろう。やはり自分もそうしてきた。それが、加工された写真や、画像処理をされたものとは露知らずである。それを知ったのは、クレラー・ミュラー美術館の自然光によってである。

天井から入り込む光たちが「夜のカフェテラス」や「星月夜の糸杉のある道」、更には、「郵便配達夫ルーラン」をしっとりとさせていた。それらの絵は、ごくひっそりと美術館の壁にかかっており、傍に近付いて確認しなければならないほど、控え目に見えた。しかしながら一度その絵に見入ると、時を忘れるほど見続けていて、館内を一周してそこに戻り、更にもう一度という風になってしまう。目が痛くなるほどの強烈な明るさや、神経に触るようなトゲトゲしさは全く感じさせない色調は、この人がやはりオランダ人であることを再認識させたのである。「馬鈴薯を食べる人々」のどうにもならない暗さは、小国オランダの人々の強さであり、そこで育った人は、どこに行こうと、やはりオランダ人なのではないか、とも思った。

アムステルダム美術館

アムステルダム国立美術館は、寸詰まりのアムステルダム中央駅のように見える。というより、中央駅があまりに立派なのである。この2つの建物はカイベルスの設計である。寸詰まりではあるが、その正面に立って見ると、驚くほど美しい建物で、17世紀オランダ黄金時代の絵画コレクションでは、世界随一を誇っている。ここでは、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」、レンブラントの「夜警」、同じくレンブラントの「ユダヤの花嫁」が必見だ。

1634年、28才のレンブラントは、美人妻として知られるサスキアと結婚した。その後、33才で豪邸を購入。1642年、あの「夜警」を描いた。この頃日本では、徳川家光の治世である。家光は社会の安定を図っていたが、旗本の処遇、浪人の増加など、苦労の種が途絶えなかった。しかし、特に京、大阪では、商人が台頭し、1639年には俵屋宗達の「風神雷神図屏風」が描かれた。オランダも日本も、商人の力が台頭して、芸術文化が発展した。

レンブラントの「夜警」は、巨大な絵画で見るものを圧倒する。画家絶頂期の大作で、36才の時に描かれた。これはこの美術館を代表する作品である。30才で他界した妻サスキアの後で注文されたという。

次にフェルメールの「牛乳を注ぐ女」。あまりに有名だから、簡単に書こう。画面左側の窓から射し込む淡い光。当時の厚いガラスによって効果的だ。人物はいやでも浮かび上がっている。青(ラピスラズリ)と黄色の対比、流れ出る牛乳の永遠さ、光の反射は白い絵の具で表現している。先に記したデルフトの「フェルメールの窓」からの光がこの光だろう。

レンブラントの「ユダヤの花嫁」は、晩年の傑作だ。光と陰で劇的な“瞬間”を表現したレンブラントが、ここでは金と赤を多用している。絵の具の厚塗りによって、立体的なイメージにもなっている。

他にフェルメール「デルフトの小路」、「青衣の女」「恋文」

ヴァン・ダイクの「王子ウィレム2世とメアリー・スチュアート」がある。

そして、

フランス・ハルス「陽気な酔いどれ」、「イサーク・マッサ夫妻の結婚肖像画」

ロイスダール「ウェイク・ベイ・デュールステーデの風車のある風景」

※17世紀後半の風景画である。これ以前は、宗教画などの背景にすぎなかったものが主役になり、見た通りの自然な色で描くようになった。

マウリッツハイス美術館

アムステルダム国立美術館と、マウリッツハイス美術館には、レンブラントの自画像がある。マウリッツハイス美術館は、小さいながらも素晴らしい作品揃いだ。何と言っても、1669年に描かれた、レンブラントの《自画像》が素晴らしい。同年に自画像を2枚描いていて、それがロンドンとフィレンツェにあるが、この《自画像》はことのほかいい。ここの絵は、年老いながらも残酷な人生の仕打ちに耐えてなお前向きな意思を感じさせ、また、技術的にも意欲においても、この時彼がしっかりしていたことを表している。1669年は、レンブラントが亡くなった年だから、これが最期の作品になったかもしれない。その目でじっとこちらを見られると、おろおろする自分に気付く。かたやアムステルダム国立美術館のレンブラントの自画像は、《聖パウロに扮した自画像》である。これは55才の自画像である。55才といえば、“破産宣告”を受けた後の自画像だ。つまり、豪邸を手放して、屈辱のうちになお生きようとしている自画像だが、その内面の葛藤と諦め、あるいは、自虐的な感情が、見るものを圧倒する。

しかし、何よりもこの美術館の売りは、フェルメールの〈真珠の耳飾りの少女〉である。

あまりにも有名な絵画だ。これが1881年のハーグの美術競売所に出るまで、全く無名の作品であり、デ・トンプは2ギルダーと手数料30セントで入手したという。1902年、彼の死後、マウリッツハイス美術館に寄贈したものである。もう1つのフェルメールは〈デルフトの眺望〉だ。これも説明の必要がない位、有名なものである。

日常生活を描いたヤン・ステーンのものもある。

ヤン・ステーン
〈牡蠣を食べる娘〉
〈養鶏場〉
〈老いが歌えば、若きは笛吹く〉
〈モーセとファラオの王冠〉
ファン・オスターデ
〈ヴァイオリン弾き〉
フランス・ハルス
〈笑う少年〉

と、この小さな美術館の内容は素晴らしいが、その建築がまたすごい。外観はもとより、内装の素晴らしさは、そう見られるものではない。ヨーロッパでも有数の美しい美術館として知られている。