院長自己紹介・ブログ

ウィーン国立バレエ 東京公演

楽しみにしてたのは、5月のウィーン国立バレエの東京公演でした。
渋谷のオーチャード・ホールで日曜日のPM2:00からでしたが、予想通りの満席状態でした。

パンフレットとチケット

「海賊」の日本初演は3回公演でしたが、最後のステージは我々の好きなシショフとエシナのコンビなのです。


注目のシショフは女性を膝の上に乗せてポーズを決めた瞬間、舞台に手をついてしまい慌てましたが、その位のことは大目に見ても差支えがない程、立派なステージを務めました。
数年前、本場のウィーン国立歌劇場でもシショフがほんの一瞬ですが、ターンの時足を滑らせたことがありました。
これだけの人でも完璧というわけにもいかないほど、バレエというのは難しいのでしょう。
これは私たちだけのことなのかは不明ですが、バレエの公演では、ダンサーの苦しい場面に直面するのです。
数年前、ロンドンのコヴェント・ガーデンにあるロイヤル・バレエの公演(くるみ割り人形)では、本当に凄い場面にぶつかりました。
有名な‘“花のワルツ”で中心的なダンサーがひっくり返ったのです。
本人も慌てて立ち上がろうとしていますが、カメのようになってもがいているのを見て、場内もシーンとしてしまったのです。
指揮者もテンポを落として再起を促すのですが本人は頭の中が真っ白で、立ち上がったのですがまたひっくり返りました。
それを見ていた金平糖の精役のプリンシパルもやはり、ターンの時転んだのです。
今回の公演で感じたのは、我々はほとんど完全な映像でバレエを観たり、音楽を楽しんでいるのですが、いつも判で押したような表現が出来るものでもないし、完全な演奏が行われているのでもない。失敗があってもやはりライブの公演はそんなち小さなミスを打ち消す、まさに人間の体によって表現することこそが何にも代えがたいことであることを実感しました。
ウィーン国立バレエの幕が下りた時、「ブラボー」の嵐とほとんどの人が立ち上がってこちらも全力で彼らを称えたのでした。

<院長の音楽コラム>ピリオド演奏って何?③

さて、指揮者のクルレンツィスだけでも話題満載なのですが、同行するコパチンスカヤというバイオリニストも賛否両論の人なのです。
正確にいうと、ムジカ・エテルナというオーケストラはモダン楽器を使用しますが、ピリオド楽器も自在にするオーケストラなのです。

2017年度、第55回レコードアカデミー賞はなんと史上初!このコンビが2冠を達成しました。
・大賞受賞はチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(これはモダン楽器を使用しています)
・銀賞受賞はモーツァルト:歌劇「ドン・ジョバンニ」(全曲)でこちらはピリオド楽器(古楽器)の使用です。

コパチンスカヤという女性バイオリニストクルレンツィス + ムジカ・エテルナは極めて相性が良く、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲でやはりアカデミー賞を取っていますが、このCDも極端に賛否両論で、私の友人二人も毛嫌いする程でした。

私の周辺の音楽好きには、「残念なクルレンツィスとコパチンスカヤ」ではあるが、レコード芸術誌で12月と2月に行われるランキングでは、(12月はアカデミー大賞←これは専門家によるランキングで2月は読者によるランキング)堂々の1位を獲得しました。
それにCDの売り上げもトップクラスであるので、HIP(オーケストラによる新しいタイプ)の認知がされてきたと言えます。もちろんこの二人だけではなく、オーケストラもムジカ・エテルナだけでなく、かなりの数の演奏家が古楽器を使った、あるいは楽譜を新しい読み方で捉える方法で新時代を迎えつつあります。

こんな最近の状況を見れば、1年先の公演のチケットが取れないのはいたし方ないのかもしれません。

 

<院長の音楽コラム>ピリオド演奏って何?②

ところで、このチケットを買った理由は前回書いたように「どうしても聴きたかった演奏家の公演に行きたいから」でしたが、
クルレンツィス指揮  ムジカ・エテルナ
(オーケストラの名前です)のコンサートだったのです。
またややこしい名前で恐縮ですが、例えるなら
カラヤン : ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
クルレンツィス : ムジカ・エテルナ
ということになります。
つまり、指揮者がクルレンツィスオーケストラがムジカ・エテルナということです。

さて、前回の冒頭に書きましたHIP(歴史的情報に基づく解釈)について話が戻ります。
1980年前後からこの動きが始まりました。
オーケストラの楽器は古楽器を使用し、楽譜の読み方も異なってきます。
モーツァルトやベートーヴェンの時代の楽器は現代のものとは異なっています。例えばバイオリンの弦も現代のものはスチールですが、当時のものはガット弦というものを使用していましたし、ティンパニーも小さくそれを打つスティックも小さく硬いものでした。
当時はオーケストラも演奏するホールも小さかったので古楽器でも良かったのですが、現代のホールは巨大化したためにオーケストラも大きくなり、弦もスチールに変わり、管楽器も大きな音が出るように改良され、ティンパニーもド迫力を生み出すために大きくなったのです。

音符の読み方も変わってきました。


有名なのは、ベートーヴェンの交響曲全曲に「ベーレンライター版」というのが現れて、ベートーヴェンの響きも一変してテンポもぐっと早くなりました。
1980年頃、この演奏を聴いた人々は一様に「これはおかしい!」と散々酷評しました。
あまりに早すぎて落ち着いて聴いていられない、ひどい人たちになると「ベートーヴェンがテンポの指示を間違えたのだ」とか、反対に擁護する人は「ベートーヴェンは気が短かったので早く演奏する方が正しい」など本人に会ったかのような言い方をする人も現れました。


ベートーヴェンといえば、ピアノの開発者としても有名です

彼の時代の少し前モーツァルトの時代にはまだピアノという楽器が日の目を見ず、チェンバロやクアヴィコードを使用していました。(ただしウィーンに出てからはピアノを使用していたといいます)  ベートーヴェンの32曲のピアノソナタの初期のものは、これらの楽器を使っていた可能性もありますが、同時にウィーン式のピアノを使用したり、エラールのピアノ(イギリス)・シマトライヒャー(ウィーン)を使い分けていたことから、現代のピアノのように安定した性能が得られなかったことも事実なのです。

昔のピアノは現在でも演奏可能で、CD等で聴くことが出来ますが、現代のピアノの音に慣れている私たちからすると、何か異様な音とさえ感じてしまいます。    

<院長の音楽コラム>ピリオド演奏って何?①

私の毎月の愛読書「レコード芸術」の3月の特集は
「ピリオド演奏が拓くオーケストラ新時代」 です。
副題として
「HIP(歴史的情報に基づく解釈)最前線を追う」
というタイトルですが

やたらに長い題目で、音楽に興味のない人には何のことだか
分からないのではないでしょうか。

簡単に言えば、<クラシック音楽の演奏の仕方が新しくなった>ということなのです。

こんなことを書き出したのには訳がありまして。

どうしても聴きたかった演奏家が初来日するので早々にチケットをゲットしようと、
2018年2月27日PM12:00の発売に焦点を合わせた行動をとっていました
一階席でうれしいのですが、飛び飛びの席2枚がやっとという結果でした・・・。
せっかくこの演奏家の公演に行けるのならと3公演セット券1人54000円×2枚を思い切って取ったというのに・・・。(しばらくは他の趣味は我慢です)
実はこのコンサート、2019年2月の公演でして約1年も前の発売だったことになります。この後に一般のチケット販売が行われましたが、その頃にはほとんどのチケットは売り切れだったはずです。

どうして3公演券と奮発し、発売と同時に買えたのに離れ離れの席なのかと調べてみると、なんと発売日より前の2月11日に6公演券というのが売り出されていて、私たちが必死になってチケットを取った時にはすでに完売ギリギリの状態だったようなのです。
その6公演券というのは、1年間にこのチケットの主催会社がこれから招聘する6つのオーケストラの公演のセット券だったのです。
これが1人124000円もするそうで唖然としました。

次回に続きます。

 

趣味と芸術の日々

歯科治療の芸術性は美術や趣味に凝るところから

美術館のおすすめ

コートールド美術館(イギリス・ロンドン)小さいながら名品揃いです。

マネの最後の大作、ゴーギャンの代表作、スーラ、セザンヌ、ルノワール、ドガ、ロートレック、ゴッホの「耳に包帯をした自画像」、ルソー、モデリアーニ、ユトリロ、ブリューゲル(父)、クラナハ(父)の「アダムとイブ」

ウィーン美術史美術館(ウィーン)

ティントレット「スザンナと老人たち」、ベラスケス「薔薇色のドレスのマルガリータ王女」、パルミジャニーノ「自画像」、ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ロット、ヴェロネーゼ、コレッジオ、カラバッジオ、ジョルダーノ、ラファエロ。そして美術館自体が美術品。

アルテ・マイスター絵画館(ドイツ・ドレスデン)

フェルメール「窓辺で手紙を読む女」、レンブラント、ルーベンス、デューラー、クラナハ、ジョルジオーネ、ティントレット。この美術館最大の呼び物は、ラファエロ「システーナのマドンナ」です。

私の楽しみ

英語、ドイツ語の会話も楽しんでいます

7年位前から始めて試行錯誤の結果、独学(本やNHKの番組)で行っています。この学び方はお勧めします。その結果、海外旅行に格安で行けるようになりました。

※今年(平成30年)7月、パリ・オペラ座の為に、フランス語を学んでいます。英語・ドイツ語・フランス語はどこか似ていますが、チェコ語には閉口しました・・・。

ワイン好き

これも30年以上前からで、実は新しい診療所の外壁・看板は、ちょっと色が異なっていますが本当はボルドーワイン(赤)のボルドーレッドをイメージしたものです。勿論ブルゴーニュも好きですが、いざという時はボルドー(赤)ということになります。ちなみに、これにエポワス(フランス)やシャンベルタン(フランス)などのチーズ、リンゴと合わせると、とても幸せになります。エポワスやシャンベルタンはかなり匂いが強く、臭い感じがしますが、クサヤの干物とか飯寿司(いずし)のフランス版と言ってもいいかもしれません。糠漬けの古いものが好きなので、強い臭みのあるものを好むようです。

松本清張とドストエフスキー好き

現在松本清張の短編を集中的に読んでいます。200ほどもあるという彼の世界にはまっているのと、ドストエフスキーも出来る限り読んでいます。

「・・・そこまではいくらもなかった。彼の家の門から何歩あるかまで、彼は知っていた。ちょうど七百三十歩だ。・・・」『罪と罰』新潮文庫、P9

この一節で親しい友人が出来ることになりました。2010年、憧れの「バイロイト音楽祭」に行ったツアー仲間とは7年来の付き合いになりましたが、あくまでもワーグナー繋がりだったのですが、何かの拍子に「七百三十歩」という言葉が出たのです。ただそれだけで我ら2人の間は更に親しくなり、ドストエフスキー仲間が出来ました。

バレエ好き

現在は「バレエ」にはまっています。ベルチャ弦楽四重奏団の、「ベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲」の広告を見て、CS、クラッシック・チャンネルに入会。あいだに流れるCMで、あまりにも美しい映像を見ました。ウィーン国立歌劇場バレエの「白鳥の湖、第2幕」でした。オルガ・エシナとウラディミール・シショフのダイナミックなダンスと美しい形、更にウィーン・フィルの音楽は一瞬で私をバレエの世界に引きずり込みました。全く知らない世界ですが、以来2年程、どっぷり浸かっています。バレエというとクラッシック・バレエのみを想像しがちですが、コンテンポラリー・バレエも素晴らしい。また、使用する音楽もブーレーズだとかヘンツェだとかクラッシック・音楽ファンでも手が出ない難曲で踊ります。「マタイ受難曲」、「クリスマス・オラトリオ(バッハ)」や「トリスタンとイゾルデ(ワーグナー)」など、次々と新作が発表されて、とても追いつきません。

「茶の湯」への道

「楽茶碗」好きから「焼き物」好きへ

出会い

約11年程前、全く想像の出来なかった世界に迷い込みました。「茶の湯」です。
ある日、いつものガソリン・スタンドに入り、ガソリンを入れてもらって洗車が終わるのを待つ間、ラックに入っていた雑誌に目が行きました。暇が勝って、パラパラとページを捲ると、何か黒い茶碗が、これでもかというように各ページに載っています。“楽茶碗”という文字が見えます。無知な私はいつものようにさらっとページを捲るのですが、最初に見た黒い茶碗と、次のページの黒い茶碗は、似ているようで似ていないようにも見えます。現在の私の目から見ると、その違いは明らかですが、初めて見た黒い茶碗は、皆同じで、それぞれがもっともらしい型で写真に写っているのがどこか気に入らなかったのです。エラソウに並んでいる黒い茶碗なぞ、どれだけのモンジャァーというのが本音でしたが、これらの茶碗が「茶の湯」でのみ使われる事だけは知っていました。給油のたびにその本に目が行き、そのたびに、この茶碗と、あの茶碗はここが違うもんなぁ~などと考えていました。

その本の中に、京都の楽美術館のことが載っていて、現在も400年前の場所にあると書かれています。何の作用か、その美術館に行くことになったのです。折角行くのですから、東京にいても楽茶碗を見る事が出来ることを知ると、美術館巡りが始まりました。その関係の美術館に行くと、茶碗の他にデカイ蓋付きの器や、小さな蓋の付いた入れ物、竹で作った細長いスプーンのようなもの、上下に分かれている小さな焼き物など、色々なものに出会います。なぜだろう・なぜかしら精神はこれに惹かれたのです。これらのものは茶道具といって、「茶の湯」にはどうしても必要なものなのです。しかし何も知らない人間にとっては、不思議なものにしか見えません。そこで考えたのは、これを使ってみることだということでした。ということは、自分が「お茶」を習うしかありません。正に体験が必要なのです。そして「茶の湯」に入門したわけなのです。私の周囲の人々は、どうして突然お茶を始めたのか、とか、バレエってどこが面白いのか、あるいは、いい年になって英語とドイツ語をやっているのかと、質問攻めにします。それらについては今まで記してきましたが、いくら説明を繰り返しても、彼らは“どうもあいつは変なヤツだ”と思っているのが手に取るように感じられます。


作風

楽茶碗は、京都の現在地に400年続いています。勿論初代は楽長次郎で、その後、現在の15代まで続いています。当代の楽さんはとても魅力のある、素晴らしい作家で、イタリア留学の影響もあるでしょうが、その独創的な作風は私の最も愛する楽茶碗の1つです。

初代長次郎は誰でも知っている名工です。「茶の湯」の大家、千利休が見出したと言われる陶工で、真っ黒い茶碗、赤茶碗などがありますが、やはり黒楽にその中心があるように思われます。黒楽茶碗の中の、お濃茶の深いグリーンは最も美しい景色です。その3代後の道入(ノンコウ)という人も素晴らしい人物で、黒楽の他、赤楽にも名作が多い。長次郎に比べると、全体に丸く、小さく、薄い感じが特徴です。この人の作品も、楽家の中では特別な位置にいます。3代道入(ノンコウ)は彼の作品だけではなく、あの本阿弥光悦との関係においても有名です。

楽家の玄関には「楽焼 御ちやわん屋」という大きなのれんがかかっていますが、筆者は光悦と伝えられています。本阿弥光悦という人は多才の人であるのですが、何と、楽家との関わりも深いのです。楽家には二代常慶に宛てられた光悦の手紙が2通伝えられていて、作陶のための土を楽家から借りてもいるのです。しかし楽とは作風は異なっています。光悦のは自由奔放で、専門職の工人とは異なる芸術性を感じさせます。光悦茶碗には“ひび”が入っているものが多いのですが、それが彼の芸術性を高めていると言われています。つまり楽の茶碗の専門の立場と、それを破ってまで自己の主張を行うという所が大きく異なっているのです。益田鈍翁(ますだ どんのう)の言うとおり、「たまらぬものなり」と言われる赤楽茶碗「乙御前」(おとごぜ・おたふくの意)や「時雨」はあまりにも有名です。

「茶の湯」

こんな具合で楽茶碗に入りこんだのですが、「茶の湯」に入門して外から見ていた“お茶”というものが、どの位簡素化されているかに気付かされたのです。“お薄”(おうす)と“お濃茶”(おこいちゃ)という区別ができなかった私が言うのも恥ずかしいのですが、「茶の湯」を習っているのをききつけて、ドシロートに毛の生えたような者に色々な質問が来ます。そんなことから日本料理店の抹茶や観光地の抹茶セットを見て、それが“お茶”だと思っている人がいかに多いかということにも、気付かされたのです。

「日本人の心は、千利休の侘び茶によって形成された」などと言うわりに、「茶の湯」というものが理解されていない。などと言えば生意気な発言になってしまいますが・・・・。私は茶道具をどう使うのか知りたくて

「茶の湯」に入門したのです。しかしこれから話すことは、「えっ、うっそでしょ、そんなこときいたことない。」の連続になるはずです。そこで正確をきするために「茶事の真髄、茶ごころに触れる」(世界文化社)という本を手本に話を進めます。

茶席

懐石、会席、ともに「かいせき」と読みます。会席とはお料理屋で出す食事のことですが、懐石というのは、茶事の時に出す料理のことです。茶懐石とは、亭主が客に対して出す料理のことですが、ごく少量の心づくしの料理で成り立っています。そこで使われる器こそがまた料理の味を引き立てます。
例えば最初の膳には白いご飯、汁、向付などが載っています。それらの料理には、例えば、絵志野の皿、根来の椀、などが使われます。煮物椀、焼き物、強肴、箸休、八寸、香の物、それにお預け徳利といってお酒も出ます。最後はお菓子です。これらのものの器も考え抜かれていて、蒔絵の朱塗椀、胆礬呉須皿(たんばんごすざら)、刷毛目(はけめ)鉢、古染付八角皿、徳利は古萩粉引、酒盃は古唐津、御本手、初期伊万里などが使われます。ですから皿や椀は、陶器や漆塗りということになります。
食事の後、客はいったん外に出て(中立といいます)、銅鑼の合図で再び席入りします。後入りでは、床のお軸が変えられています。花入れは主に竹のものを使います。勿論この花入れも、重要な意味を持ちます。この席に入ってから濃茶点前が始まります。お濃茶というのは、抹茶を大量に入れて湯を注ぐのですから、茶を点てるとは言わずに茶を練るという表現を使うのです。練った茶は、飲むというより流し込む、という方が適切かもしれません。茶碗を口にあてて、口の中に入ってくるのは、暫くしてです。この濃茶は、通常2,3人で回し飲みします。所謂“お茶”というのはこの濃茶のことを言うのですが、先にも述べたように薄い抹茶をお茶と言っている場合がほとんどです。濃茶が主で薄茶は従と言っても良いかもしれません。濃茶の後に座布団が運ばれて、薄茶点前が始まります。この時は干菓子が用いられます。随分長い説明になりましたが、ここまでの文でもわかるように、お茶では色々な焼き物を使いますし、漆の器も使います。これに加えて、床の間には掛け軸が掛かっていますし、茶席に入るまでの露地にも色々な工夫がされているので、茶席というのはある意味総合芸術といえるかもしれません。

(この文章を、楽茶碗中心に書いてきましたが、茶碗も、中国、朝鮮からの名椀、あるいは我が国で作られたものなど、とても多くて書くことはできませんのであしからず。)

院長 小高博 プロフィール

音楽と私

約30年前、当院にインプラント導入の為、そして歯周病研修の為、スウェーデン・イエテボリ大学にて学ぶ。

アメリカ・ミシガン大学にて咬合学を学ぶ。

※スウェーデンからの帰国時にウィーンに立ち寄り音楽に接する。

現在までウィーンには9回程滞在。

小学校低学年ではパイロット、中学生になると音楽家を目指し、高校生になると指揮者を志すが、才能なく、歯科医となる。

いまでも指揮者になりたいと思っています。

※ヴァイオリン、ピアノ、声楽、トランペットを習うも、全て下手。

高校生の頃、音楽の先生(ピアノ)に桐朋音楽大学へ入学したい旨を伝えると、即座に却下され、歯科大学に入る。

現在は歯科医療に専念するも、音楽は命!

才能がないことを前提に言うなら、小学生高学年までは教育ママに反抗して、クラッシック音楽は一切聴かず。中学生になってクラッシック音楽に目覚めるも、時すでに遅し・・・。

最初に衝撃を受けた曲・・チャイコフスキー交響曲第5番(中学2年)

開眼

  • バイロイト音楽祭(大阪国際フェスティバル)
  • ニューヨーク・フィルハーモニック(指揮・バーンスタイン)によるマーラー・交響曲第9番(大阪、東京公演)(中学2年~高校~浪人期)

(大阪にて、第9の超名演のあと9階(?)のレセプション会場の前をうろつくも、あのバーンスタインが出てきて、固まっている我ら2人をハグ。そのまま二次会(中国料理)に連れて行かれる。)

そして現在に至る

これまでのクラッシック鑑賞歴(海外)

  • バイロイト音楽祭(ドイツ)
  • ドレスデン国立歌劇場(2回)
  • バイエルン国立歌劇場
  • ウィーン国立歌劇場(4回)
  • ウィーン・フォルクス・オーパー
  • アンデア・ウィーン歌劇場
  • ドイツ・ベルリン歌劇場
  • ロイヤル・オペラ・ハウス(3回)
  • パリ・オペラ座
  • ロンドン・コリシアム
  • ウィーン・ムジーク・フェライン・ザール(ウィーン・フィル)(4回)
  • フィルハーモニー(ベルリン・フィル)(3回)
  • ウィーン・コンツェルト・ハウス(ウィーン交響楽団)
  • ロイヤル・フェスティバルホール(イギリス)
  • バービガン・ホール(ロンドン交響楽団)
  • スメタナ・ホール(チェコ)
  • ビグモア・ホール(ロンドン)

作曲家・演奏家の墓も訪ねており、ワーグナー、ウェーバー、バッハ、マーラーは訪ねることが出来ました。

これからの予定としては、作曲家ブルックナー、指揮者カラヤン、指揮者クナッパーッブッシュとなっております。

音楽は人生の一部ではありますが、他にも・・・

  • 11年程前から、楽茶碗に魅了され、「茶の湯(裏千家・業躰に師事)」に入門。現在まで続いております。
  • 美術鑑賞も音楽の旅の時に楽しんでいます。ヨーロッパの美術館は、入館者が多くないので、ゆったりと楽しめます。

私はどうやって「英語」と「ドイツ語」を学んでいるのか?-その2

私はドイツ語専門学校に入って、何も覚えず大金を遣っていました。その頃、ドイツのドレスデン国立歌劇場に行った時にガイドをしてくれた日本人女性がこう言ったのです。「失礼ですけど、私も夫とドイツに来るのに日本で会話の学校に入ったのですが、いっこうに話せるようにはなりませんでした。」と言ったのです。その頃私は分厚いドイツ語の本を教科書にしていたのと、専門学校に行っていた自負から、心の中では「ロクデモナイガッコウに行ったんじゃネ~?」と考えていました。しかし、その後の体験が、彼女の言ったことに偽りはなく、彼女の本心を吐露してくれたことの証明になりました。

そのドイツ旅行の帰りの空港で、決定的なことが起こりました。搭乗口に入ってすぐに、待合室のイスの傍にバッグを忘れたことに気が付いたのです。目と鼻の先に置いてあるのです。焦れば焦るほど言葉が出ません、と言いたいのですが、元々英語が話せないので言葉が出ないというのは図々しいのですが。バッグを指差して、色々言ってみるのですがダメです。変な日本人が血相を変えて指差している所は、彼女からは椅子の陰になっていて見えません。

周りにいる外国人は何が起こったのか興味津々です。彼らはいったん意識が集中すると、ずっとそのことを観る人々でもあるのです。

この恥ずかしさはバイロイトの比ではありません。もうどうにもならなくなった時、騒ぎに気が付いたアテンダントがやってきました。彼女はこともなげに私をゲートの外に出してくれました。たったそれだけのことですが、この恥ずかしさによって、絶対外国語を覚えようと誓うことになりました。皆様もご存知のように、英文を読むのと会話をすることはイコールではありません。英文を読める人でも英会話ができない人も沢山います。私はこのことに着目しました。

何としても会話ができるようになりたいの一念は、岩をも通すのです。そういう意識が出来ると、やりたいことが次々と現れます。映画は字幕なしで観たい。ワーグナーはドイツ語で理解したというのも大きな励みになりました。何しろ60歳を過ぎた人間が突然、英会話とドイツ語を習おうというのです。

正気の沙汰ではありません。しかしこの破天荒な考えが実のところ非常に良い着眼点あったことが徐々にわかってきました。

英語とドイツ語はとても似ている言語だったのです。

・and(英語)とund(ドイツ語)(アンドとウント)共に、そして・・・ですし、

・can(英語)とkann(キャンとカン)できる

・I(英語)とIch(ドイツ語)(アイとイッヒ)私

こんなことは沢山あります。

2つの言葉を学んでいると、あまりの共通点の多さに驚きます。ドイツ語の「ワク構造」(決まった型)に比べると、英語の方は、単語の位置を重視しますので、単語の配置が大事になってきます。主語、動詞を中心にして単語、句、節を並べていくことにより

一文が出来上がることになります。結論を言ってしまえば簡単な事なのですが、そんな生意気な事を言うまで、本屋に行ってどの位の英会話本を買ったかわかりません。今も部屋の中に重ねられています。その中には、例えば“前置詞”をどう使うか?とか、“形容詞”だとか、兎に角専門的な本がいっぱいありますし、反対に“10日間で身につく本”などもあります。

ドイツ語・英語の会話学校に払ったお金に比べれば、どの位本を買おうとたかが知れています。この経験から「外国語を習うというのは、本当はかなり安くできる趣味である。」ことも発見したのです。

こんなことを書くと、いかにも英語やドイツ語がペラペラと話せるように思われるかもしれません。ネイティブのように話せるのは、ほとんど不可能ですが、本当はゆっくりなら日常の会話はどうにかなるかも、という程度の人間なのです。しかし、“どうにかなるかも”というのは大切な事であります。

最近の2、3回の海外旅行は個人旅行ですが、特に問題はないのです。このことは、他のプラスを我々に与えました。旅行会社の人には言えませんが、個人旅行で行くなら通常の料金を遥かに下回る金額で海外に行けるのです。NHKのテレビとラジオを活用すると無料で、これだけでは心もとない人は、テキスト・ブック(毎月出ます)を利用するのです。今時600円程度で綺麗な本で、内容の濃い学習が出来ます。語学という観点から見ると、難しい、面倒臭いという発想になりますが、“趣味”と考えるとこれは楽しめます。会話の良いところは、覚えてしまうとその分だけ自分のものになり、外国人の話しているペラペラという何を言っているのかわからない音の連続が、部分的に聴いたことのあるフレーズになっていくので、とても楽しめる。こんな安い趣味はいまどきどこにもありません。

さて私は英語とドイツ語が似ていると書きました。そのことについて調べてみると、「英語とドイツ語は同じ西ゲルマン語から出た姉妹後ですから、類似している点が数多くありますが、英語に比べるとドイツ語はかなり保守的で・・・・」(『標準ドイツ語』常木実著・郁立社)という文章がみつかりました。何の脈絡もない英語とドイツ語を知ろうとした無謀な決意は、意外な結果を生んだことになったわけです。で、この2つの言葉はとても似ているので、相互にやると「へぇ~!」とか「ありゃー!」とか感嘆詞の連続で飽きません。

この調子で『虫歯は痛くない!』というとウッソー!という反論が生まれる事は請け合いですが、60歳を過ぎてから英語とドイツ語をやって、個人旅行が出来るようになったことは事実なので、始めから決めつけないで「虫歯は痛くない!」も基本に戻って考えてみてもいいかもしれません。

私はどうやって「英語」と「ドイツ語」を学んでいるのか?-その1

2010年、私は「17歳の夢」を叶える事が出来ました。人生とは不思議なもので、中学生の終盤から、あれほど嫌っていたクラシック音楽を聴くようになってしまったのです。小学生の頃は、「ザ・ピーナッツ」のファンで追っかけをやっていましたし、小6の頃は、ついに音痴組の中の1人として、音楽室から出されて、校庭の中で遊んでいました。ですからクラシック音楽などとんでもなく、教育ママであった私の母への反抗もあって、絶対に音楽は聴かない、と、つまらない決意までしたのです。中2の時、とうとう母が呼び出されて、「この子は手におえないから他の学校へ移したらどうだ。」と担任に言われて、泣いて帰ってきたのを覚えています。

同じクラスの男子生徒が私のところにやってきて、「今日の夜、付き合わないか?」と言われたのですが、どういうわけか、付いて行ったのでした。

上野の東京文化会館大ホールがその行先でした。こんな所に連れて来られた不安で、途中の休憩時間に逃げ出そうと思っている私の心を読んだように、友人が演奏が始まる寸前まで私の傍にいたので、そのチャンスを逃して、仕方なく黙っていると、自分はステージの脇で聴くから、と言って、行ってしまいました。目の前には100人を超すような大オーケストラがありました。その曲は静かに始まって、その暗さを感じました。盛り上がって強烈な音量が私の体を押さえつけました。大ホールの床がビリビリと響くようにも感じました。ザ・ピーナッツを日劇や、コマ劇場でライブで聴いていましたが、その比ではなく、ウエスタン・カーニバルなど眼下に見るように、巨大な音量とド迫力は最後の音が鳴り終わるまで続きました。この時14年間で初めて感動に震えました。この時から約50年が経った時、「17歳の夢」が達せられました。

場所はドイツのバイロイトという小さな町でした。音楽が好きな方なら誰でも知っている、バイロイト音楽祭の会場にいたのです。この音楽祭知る人ぞ知る、知らない人は全く知らない所なのです。ワーグナーだけを上演するこの音楽祭は、世界で一番チケットがとれない音楽祭としても有名ですし、私自身が一生のうちに絶対無理と考えていたところだったのです。

世界中の“ワグネリアン”の聖地としても、巡礼の旅としても有難いのですが、この音楽祭の行われる、バイロイト祝祭劇場というのが、只者ではないのです。広大な丘の上にそびえ立つ劇場の周りは、音楽祭を楽しむための空間であるのです。小さな町に、この為に世界中からワグネリアンが集合するのですが、それ以外ほとんど何もないので、午後4時の開演まで、ぶらぶらしているしかありません。

ワーグナーの楽劇は長大で、1曲4時間以上かかりますから、2回の休憩を入れると、終演は午後10時を過ぎるのです。例えば2010年に私が行った時には、「ニーベルングの指環」という4部作が目的で行ったのですが、これを毎日やるのではなく、1日あけての公演になりますからこの曲だけで約1週間が必要になります。ワーグナーの音楽というのは、一般のオペラと違って、独特の発声と、あの分厚いオーケストラの響きに対抗するのですから歌手たちの声がもたないのです。私は先程このバイロイト祝祭劇場は、只者ではないと書きました。ワーグナーという人は、少なくとも保守的ではないですから、音楽もそれまでにない技法を使っています。それは若い頃の政治感覚を見てもわかりますが、後半の人生は、あのバイエルン国王・ルートヴィヒⅡ世との繋がりが大きな意味をもってきます。

ロマンチック街道の終点(?)ノイ・シュバン・シュタイン城(白鳥城)はつとに有名で、強引にその城を造った為に狂王として湖に沈んだ、つまり、バイエルン国の財政を圧迫したとして、幽閉されて、亡くなったルートヴィッヒⅡ世の造り出した城です。ルートヴィッヒⅡ世は、若い頃にワーグナーの「ローエングリン」という歌劇を観て、感激して、ワーグナーに接触するようになります。バイロイトにあるワーグナーの自宅もそうですし、バイロイト祝祭劇場もかなりの出費をしていたといいます。バイロイト市内にある昔風(ヨーロッパによくある馬蹄型のオペラハウス)の劇場では、自分の音楽をやるのに適さないということで、現在も毎年使われている祝祭劇場を新たに造ったわけなのです。王様や貴族が中心にいるオペラハウスなど、くそくらえというところなのでしょう。それは正しいとも思えますが、祝祭劇場に行ってみると、ステージと客席の関係がどことなく変なのです。ステージを中心にして上方に向かって客席があります。内部に入ってみると左右に6枚の扉が付いています。イメージとしては、ギリシャの古い劇場のように横一列の席が、ステージから上方に積み上げられているのです。私とて、ワグネリアンの端くれですから、皆が憧れるこの劇場については、よく知ってるつもりでした。しかし自分がその場に行ってみると、現実はかなり違っていたのです。加えて座席は板のイスで、おしめし程度のクッションが付いています。(ですから全員、自分のクッション持参でやってきます。椅子と椅子の間は我々でも狭いのですからヨーロッパの人にとってはかなり窮屈だろうと思います。ここに4時間も5時間も閉じ込められているのは正気の沙汰ではありません。)

それでも満員の状態で、休憩時間は1時間ずつとり、その時は全員が劇場の外に出されます。開演20分前になると一斉に鍵が外されて、客は入場することになります。実は私はこの時のことを話したくて、この文章を書いてきたのです。この劇場には縦の通路がない、ということは、自分の席に行くのには、横一列に入っていくしか方法がありません。前後の座席の間が狭いという事は1人でも座っている人がいると、もう通ることができないのです。ここに来ている人々は、それを知っている。ですから自分の席の前に立って待つのです。横に30何列かある座席の中央に客が納まり、皆がそれを確認してから一斉に着席します。その時が私には苦痛以外の何ものでもなかったのです。1日の公演ならまだしも、4公演で1演目(ニーベルングの指環は4部作の大作で約12時間半以上の演奏時間を要します)ですので、殆どの人が4公演を通し券で買っています。つまり、毎回、前後左右の人々が同じということになります。先にも書いたように一列全員が並ばないと着席できないのですが、バイロイトの習慣として、相手にお尻を向けて入場するのは失礼らしく、皆こちらを向いてカニ歩きで入ってきます。当然、顔と顔が向き合います。迷惑をかけた方(後から入ってきた人)が、必ず相手の眼を見て何か言います。が、私には何のことか全くわかりません。ですからニッコリと笑うしか能がない自分に、この時ほど惨めになったことはありません。言葉がわかならいというのは苦痛なものです。更に1週間近く同じ席で音楽を聴くという事は、相手の方も気を使って話しかけなければいけないだろう、と考えていることがわかることにもなります。ですから、幕が上がるまで下を向いているか、妻と話しているかして、自己防衛をはからなければなりません。彼らは、世界中から集まっていますし、皆が英語を話せるわけでもなく、ドイツ語、フランス語が多く話せる人もいるはずですが、そういう中で生活している人々は、私のように固くなったりしないようで、こちらがとまどっていても平気で話しかけてきます。これが最大の苦痛でありました。約1週間、狭い座席と、暑さと、話しかけられることの三重苦を持って帰ってきた次第でした。

これが、今から6年位前の出来事でした。私は決心しました。

「もうガマンならぬ。ドイツ語と英語を話すようになるゾ。」

と決意して友人に話すと、「何言ってるの、バカじゃねぇ?」とか「どうしちゃったんだろうね。」という声が周囲を囲む中、ドイツ語会話専門学校に入学しました。これが50分で4500円、2レッスンからということで(4500×2)×4で半年頑張りましたが、何のことかさっぱりわからず撃沈しました。英語もしかりで、同じく6ヶ月で終了。「あんな、会話学校なんてくだらねぇよ。」と憎まれ口を叩いていたのですが、あることからこれはやり方次第ではないだろうか、と考えるようになりました。

日本で生活してきて、外国人が傍に来ると、さっと道を変更したり、一緒のエレベーターの中に入ると下を向いていたりを繰り返してきた自分にも、一条の光が入ったかと思われたのでした。

2017年末、2018年夏、もう何回か自力で海外旅行(音楽の旅ですが)に行けるようになると、航空券、ホテルの予約、コンサートのチケットだけあればO.Kというところまでやってきました。

不思議ですが、このところやたらに記憶力が優れてきて、自分ではないように思われます。

恐らく若い頃に勉強しなかったので、その余力が残っているものと考えます。