幽玄と古稀の旅行記 – 間狂言

ベートーヴェンが第6交響曲を『田園』と名付け、それが驚くことにハイリゲンシュタット近くの(すっかり区画整理の出来た)小川の風景だったり、小さな村での出来事の描写だったりという事実を知っても、どうも納得がいかない。“能”が幽霊の話を中心に成り立っている、と言われても同様だ。“能”は日本古来の芸術なのに、子供だましのようなことを言われてもと。しかしこれは本当の事で、“能”の中心を成しているのが、幽霊の話なのである。もう少し正確に言うと、“能”の中には大きく分けて“現在能”と“夢幻能”がある。そして大半の作品が、この“夢幻能”形式をとっているのである。では、この幽霊とは、一体どんなものなのか。少し難しく言うなら、主人公が超非現実的存在という事だ。つまり、シテ(主人公)が、神、男女の霊、鬼畜の霊、物の精なのである。前場(まえば)では、このシテが脇役(ワキ)が演じる名所を訪れた旅人や僧侶などに、その地にまつわる物語や身の上を語るという筋立てを持つ。“夢幻能”は、前後二場に分かれ、同一人物が前場は現実の人間の姿(化身)で、後場(のちば)は在りし日の姿や霊の姿で登場する。最後は、ワキの僧侶の祈りによって、祈り伏せられるというのが、よくあるパターンである。間狂言というのは、二場物の能で、前シテの退場後、後シテの登場までを繋ぐ狂言師の演技の事だ。

しかし、どうして私は突然、“能”のことを書き出したのだろう。それは、シェイクスピアのグローブ座に理由があった。450年程前のグローブ座は、4階建ての劇場で、1階平土間には椅子がなく、舞台をコの字型に取り囲む桟敷があった。ここには椅子席がある、ガッチリと造られた舞台の上には、しっかりとした天井があって、ステージに雨がかかることはない。しかし舞台と桟敷以外は剥き出し(天井がない)だから、風雨どころか寒暖の調節も出来ない。ステージは、1階客席の中に突き出して、大きく四角く、やや高い台が演技をする所である。こんな素朴な造りだから演出などという技は使えなく、シェイクスピアはいちいち場面を説明するように戯曲を作っている。片や能舞台の方は、屋根の付いた舞台だけが、見物の入るところに突き出している。ここもグローブ座と同じように、観客の為の椅子はない。その舞台は左側の橋掛かりと繋がっていて、役者はその橋を使って出たり入ったりする。舞台上には何もないのだから、役者の所作だけが頼りの舞台になる。となると、役者の一挙手一投足が全て能の内容に繋がってくることになる。腰から上をやや前方に傾けた姿は、それだけで能役者の重要な表現になり、足の動きによって制御されたその全身は、場に応じた美しさと直結することになる。一説には、能舞台の下には大きな壺が入れられていると言われる。それは、足を打ち付けることによる音響も大切だからだ。更なる深みは、ぐっと腰を落とした安定感で、これは重力によって地上に縛り付けられたような状態を生み出している。ゆっくりと動くか、ほとんど動かない体勢から、一瞬で立ち位置や姿勢を変える素早い動作は、こちらが息を飲むより素早い。しかし人間の体の構造からして、この何でもないように見える動きは危険でもある。

「能」は舞うだけでなく、謡(うたい)も重要である。能舞台の正面から見て右側には、舞台から張り出した部分に地謡が8人ほど並んで謡をする。能舞台正面には橋掛かりから伸びた後座(あとざ)があって、ここに、笛、小鼓、大鼓、太鼓の道具が並ぶ。足利義満の時代に、世阿弥によって“能”は発展した。

これに比べると、“バレエ”の歴史は浅い。とは言っても、300年とか400年の歴史はある。再三驚かせてばかりで申し訳ないのだが、バレエの元祖は、ルイ14世である。ルイ14世(太陽王)といえば、ベルサイユ宮殿で、正確に言えばルイ13世がこの宮殿の元になる離宮を1624年に造った。これをルイ14世が発展させたのが、今のベルサイユ宮殿だ。このルイ14世、ダンスにかけては「玄人はだし」であったらしい。彼の一声でダンサーが集められ、組織化された。元々バレエはイタリアが発祥の地であるが、大規模なグループの成立は、ルイ14世なくしてはなかった。当時は男性ばかりの集団で、女性の参加は認められなかったから、男だけの舞踏は現在のバレエからすると想像しづらい。1841年パリで初演されたアダンの『ジゼル』は、妖精・ウィリに魅せられた若者が、踊り狂って死ぬという伝説を元に王子・アルブレヒトと、村娘・ジゼルの悲恋を描いたロマンチック・バレエの代表作である。男性中心のバレエは、徐々に女性にも開放されていったが、下品にならないように、舞台上では足首が出ない長いスカートをつけていたという。『ジゼル』は、妖精・ウィリを中心とした妖精たちに憑り殺される王子の場面が後半の見どころで、この場で足首まで隠した長くて重いスカートで踊るダンサーは、妖精には程遠い。『ジゼル』に生命を与える為に考え出されたのが、足首が少し出る程の長さのスカートで、重量感のある生地ではイメージに程遠いから、白くて、そして薄く透けるようなものに変更された。これをロマンチック・チュチュという。現在我々がバレエのイメージとして持っているものは、短いチュチュとトゥシューズであるが、これはロマンチック・チュチュから更に発展したものであり、トゥシューズは本来「この世のものではないもの」とか、「妖精」用のシューズである。最近はこれを拡大解釈して、好んでダンサーが用いるのは、技術の向上によるものだろう。「バレエ」という言葉でイメージする、短いチュチュはクラッシック・チュチュという名前で、比較的最近のコスチュームなのである。かくいう私も、バレリーナ(ダンサー)と呼ばれる人々は皆トゥシューズを履いて踊るものだと思っていた。男性ダンサーでトゥシューズを履く人はいない。女性ダンサーでも、トゥシューズを履くのは限られた役の人達で、むしろトゥシューズを見ることはあまりないと言ってよい。「バレエ」と一括りに言うが、大きく分けると“古典バレエ”と“現代バレエ”に分類され、“現代バレエ”でトゥシューズの使用はほとんどない。そして、チュチュに代表されるように、重量を感じさせない為の工夫とか、軽やかなジャンプは「バレエ」の生命線だ。それに比べると、日本舞踊は重力の世界に属し、我が国最高峰の芸術の1つである「能」は更に重力界の出来事だ。摺り足は能の基本で、一歩進むたびに指先を揃えて上げ、その繰り返しによって動きに意味を持たせる。この僅かな動作によって、京都-江戸を瞬く間に移動することが出来る。上半身の動きは極力制限されるが、そのわずかな動きにこそ、深い意味が込められる。私は知らずうちに“能”と“バレエ”を比較しだしている。これは白洲正子の影響かもしれない。(白洲正子は少女時代から“能”を舞っていた名手であるが、ある時期“能”は男の世界のものだという理由で引退した。)そう見ると、この2つの芸術の間にある共通点があることに気付いた。一見すると全く異なった世界に見えるものが、意外と近しいこともあるのである。誰でも知っているように、能役者の立ち姿の美しさ、そこからの足の動き、更に上半身の動き、更には手の動きだけで、何もない舞台上に能役者の表現したい世界を現出させる。一方、「バレエ」の方は、跳び上がったり、何回転もしたりと、目まぐるしい動きで我々を圧倒する。

今から数年前、パリ・オペラ座の指導者がこんなことを言ったことを覚えている。大訳はこんな話だった。

「バレエは、フィギュアーではありません。何回転するかを競ってはなりません。」

大体こんなことだった。そしてある人は、こうも言っていた。

「表面的なことよりも、ダンサーが何を表現したいのかを、見なければならない。」

バレエ鑑賞歴の浅い私は、この言葉にいたく感じたのだった。意識を変えてみると、「バレエ」の素晴らしさは、静止状態の美しさであると同時に、静止画像の連続の美だ。そう思ってみると、姿勢が大切であることがわかる。それを中心にして、足や手の動きを見ると、その全てがなにかを表現する為のものであることもわかる。しなやかな腕と手が、どの位この芸術に必要なものか。能とバレエという、何のかかわりもないものが、私の中では合体してきたのだ。ただ違うのは、コスチュームの違いである。空中を飛ぶように作られたものと、どっしりと足を地に付けたコスチューム。これを能では「能装束(のうしょうぞく)」という。これは美しいというよりも、絢爛豪華と言った方が良い。その“美”は、それだけで芸術品だ。

どうやら私は、シェイクスピアのグローブ座から話を広げ過ぎたかもしれない。グローブ座の舞台には天井があって、桟敷以外は外。この外というのが、私に「能」を思い出させたのだった。更なる共通点は、張り出した四角い舞台だった。勿論これには幕というものがない。背景がないのも共通。舞台上に楽器を置いて、楽師たちによるライブの音楽。これも共通。ただ、シェイクスピアの時代の音楽というのが、あまり面白くない。というより、あまり必然性がない。なにしろ“オペラの元祖”と言われるモンテヴェルディの歌劇『オルフェオ』が1603年頃だから、シェイクスピアに責任があるわけではない。更に考えてみると、足利義満の時代の世阿弥の能には、必然的な音楽がつけられている。世阿弥の言葉に「先聞後見」という言葉があるが、これは「先ず聞いて、その後に見る」という意味である。その位、音楽との一体感を重視している。事実“シテ”だけでなく、楽器の演奏者、地謡によっても、相当能舞台の出来に差がつくことになる。

私にはこんな思い出がある。大学に入った頃、私の母は能をやっていた。彼女はド近眼だが気取っていたので、街を歩くのにも眼鏡をかけていない。だから、向うから歩いてくる人の顔が見えない。その為「ツンとして感じの悪い女」で通っていたのだが、能を始めてどうにも困っていた。面には目らしきものが開いているが、ただでさえその“目”から外は見えないらしい。見えるのは足元より数10センチ先のみ。勿論眼鏡をかけて面をつけるわけにはいかない。で、面をつけると、ド近眼の彼女はほとんど何も見えない。物事はよく出来たもので、能の基本は摺り足なのである。「大丈夫よ、能舞台って、床板の出っ張り具合で、どこにいるのかわかるのよ。」とのたまっていた。確かに、これには一理ある。というのは、シテ(主役)が面を付ける1つの意味は、自分と外界を分離して(僅かな繋がりは殆ど外部の見えない眼)、それによって、トランス状態を作り出すことだ。そんなことをしなくても、元々トランス状態で生活しているのだから、二重のトランス状態でさぞかし名演をしたかといえば、そんなことはない。ビデオを見ると、体がグラグラと左右に揺れていて、いつ舞台から落ちるか分からないという、恐ろしい光景が映し出されていた。母は能が好きで、よく謡っていてうるさかったが、私の方も例のごとくワーグナーの楽劇をボリュームを上げて聴いていたので、どっちもどっちであったが、ばあさんはいつも、「ワーグナーってうるさいねぇ。」とは言っていた。

「能」の基本にはなから反している私の母はさておき、この世界は、“楽器”と“舞”と“謡”で成り立っている。音楽の内容は、意外と多彩である。楽器は“囃子”といって、笛、小鼓、大鼓、太鼓だが、太鼓の使用は神や鬼、天女や妖精、または怨霊、あるいは戦いの場面で使われるから、通常は笛、小鼓、大鼓で行う。能が独特なのは、囃子方の出す掛け声で、「ヤ」「ヤァ」「ヤオー」「イヤーッ」「ヨーイ」など、そのタイミングや鋭さ等、能の緊張感を作り出す。そして右端の8人の地謡の低音は、いやがうえにも全体をひきしめる。

私には、この地謡の低音とその響きが、ワーグナーの舞台神聖祝典劇『パルジファル』の合唱を思い出させるのである。それが、あれだけ嫌っていた能にはまる原点だった。間狂言は、夢幻能の前場(まえば)と後場(のちば)を繋ぐ狂言師の演技だった。そのことに話を戻すことになろうとは考えてもみなかったのだが、どうもここのところ幻の様に、モーツァルトの音楽が浮かんでは消え、或いは、彼のオペラの旋律が、断片的ではあるにしろ繰り返されるのである。それは単に“いい音楽”だからというのでもない。加えて、ウィーンの街を、はつらつとした若いベートーヴェンが飛び跳ねるように歩いている姿も見えるようになってきた。恐らくそれは、モーツァルトのことを調べて文章にし、彼の住んでいたマンションを訪ねたり、ベートーヴェンゆかりの劇場(アン・デア・ウィーン)でパパゲーノ門に触れたり、折角だからというのでモーツァルトの曲を沢山聴いている所為かもしれない。ただそれが、如何にも生々しく感じられるが、どことなく不気味なのである。これはひょっとして偶然にしても、多くの大作曲家の“墓”に参っていることに関係するのかもしれぬ。バッハ、ワーグナー、マーラー、ウェーバーなど、超有名人の墓地に迷い込んだことによるのだ、と自分に言い聞かせてみると、やっと落ち着きを取り戻すことが出来る。あるいは、昔、学校の音楽室に飾ってあった“絵”の人達が、そこから抜け出して、私の頭の中に定着してしまったのではないかと考えてみるが、ただ1人、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトだけは、正面に立っていて、何かを言いたそうな視線を私に向けている。その様子は、どことなく、恨めしい感じと、寂しさが混じったように見える。私の頭に過ったのは、死に直面したモーツァルトの状況だった。金の為に必死に作曲する彼は、持てる力をすべて出し切っても、『レクイエム』を完成させることができなかった。そして死んでしまうと、簡素な葬儀のみで、土中に埋められてしまった。煙るような雨の降っている中、共同墓地の入口で、関係者は全員引き返してしまったのだ。2人の墓守によって土がかけられた彼の棺桶は、泥だらけになって埋められた。そんなことになったのは、皆が言うように、彼は愚かであり、統一のない、殆ど愚劣な人間だからなのだろうか。

モーツァルトは200年以上前に活躍した人だ。歴史に興味のない人からすると随分昔であるが、実のところそれ程過去の事ではない。モーツァルトの住んでいたマンションも、ベートーヴェンが歌劇『フィデリオ』を初演した「アン・デア・ウィーン」という劇場も、とても綺麗に保存されて、連日のように公演が行われている。ザルツブルグでは、モーツァルトが洗礼を受けた教会も現存していて、そこには彼の名前も記されている。それにしても、当人の墓がわからないという、少なくともモーツァルトほどの人の墓が何処にあるのかわからないというのは、驚くほかない。遺体を入れる為の穴を掘って、そこにごみクズの様に投げ入れたなど更に考えられない。映画『アマデウス』では、その場面も映像化されている。ここではさらに酷い。棺桶の前方に蝶番の付いた“蓋”があって、ゴミ捨て場のような穴に向かって、45°程傾けると、半分ほど蓋が開いて、そこからいっきに袋に包まれた遺体が穴に向かって滑り落ちる。つまり、この棺桶はまた別の遺体にも使うから、埋めてしまうのが惜しいのだ。墓掘り人夫は何もなかった様にその上に土をかけて、埋めてしまう。勿論墓標もなしに。そんなことをした人々に、ヴォルフィ(モーツァルト)は何を感じただろうか。もしモーツァルトが日本人であるなら、怨霊になって復活するのではないか?そんな例は沢山あり、それが能になっている。そして、これは夢幻能にはうってつけの題材である。